幕末のカリスマ指導者、松陰先生こと吉田松陰!!

旅行大好き美容師Ayakaです!!

今回は旅行以外にも大好きな歴史に関する事と歴史旅について書こうと思います!!!

歴史にそんなに興味がない方もいるかとは思いますが、日本には歴史に名を刻んだ有名な偉人達がたくさんいます。

幕末の有名人といえば、大河ドラマにもなっている坂本龍馬や、西郷隆盛、新撰組の近藤勇や土方歳三などがいますが、私が好きなのはそのような有名人を差し置いて吉田松陰です!!

吉田松陰

私は吉田松陰が誰よりも大好きです!!

好きになったきっかけは、吉田松陰の本を読んだ時に、高い目標を持ちやる気に満ち溢れ、ただただ美容師が純粋に大好きな当時の私に吉田松陰の言葉は刺さりました

・:*+.\(( °ω° ))/.:+

「この人私が大事にしてる事をすごく言ってる!!!」

「分かるわ〜」

と共感できる事がたくさんあって、それ以来吉田松陰を私の先生としています。

私は松蔭先生と慕っています。

★吉田松陰のここがすごい!!★

特に歴史的に何かを成し遂げたという成果はないものの、この松蔭先生はたくさんの歴史に名を残した人達に生涯影響を与え明治維新に活躍した人を多く育て上げたほど、その“考え方”や熱意が凄かったのです★

黒船来航で有名なあのペリーの報告書にも

こんな熱意を持った若者がいる日本という国はなんて未来のある国だろうか」

と書いているほどなのです!!!!

松陰先生とは何者!?

松蔭先生は山口県の萩市出身で叔父さんが始めた街の小さな塾(松下村塾)の教育者で、その叔父さんがなんせ厳しく育てた事により私利私欲が全くない人になりました。

山口県萩市 松下村塾
冬の萩の街

何を隠そう、この松下村塾で松蔭先生が教育者としてやっていたのはわずか2年ほど

そして、わずか29歳で安政の大獄で処刑されてしまいます。

それなのに、松下村塾を出た門下生には奇兵隊を作った高杉晋作や、久坂玄瑞伊藤博文初代総理大臣山形有朋の総理大臣を二人、井上薫初代外務大臣、日本で初めて鉄道を作った日本鉄道の父と呼ばれる人や、造幣の父と呼ばれる人、工業の父と呼ばれる人などの凄い人たちがたくさんいます!!!

松下村塾の門下生

しかもみんなこの萩周辺に住んでいた人達をそこまでの“志”を持って何かを成し遂げる人材に育て上げたのです★

門下生が歳をとって記者に取材を受けた際に

「こんなんじゃ松蔭先生に合わせる顔がない」

と生涯影響を与え続けたそうです。

なぜそこまで影響を与えたか!?

松蔭先生はとにかく

ピュアで情熱的

です。

教育者といっても、松蔭先生の勉強スタイルはみんなと机を囲んで隣に座り、世の中の色んな事を議論するという形でした。

松蔭流勉強スタイル

なんでもいいから自分の意見を持ち、その志を持って行動するという事を重んじました

ただ意見を持っているだけでもダメで、

「君はそれに対して行動をしたのか?」

と聞き、していなければ、

「じゃあそれは憶測に過ぎないからまず行動してみてから言いなさい」

と“意思を持った行動”を強く言い聞かせていたそうです。

高杉晋作もどうしても松下村塾に入りたいと親の反対を押し切って志願しに行った時、

「私を門下生にしてください!!」

という高杉晋作に

「私は教える事はできませんが、共に学ぶ事はできます」

と言って受け入れたそうです。

なぜ高杉晋作の親が松下村塾に行く事を反対したかというと

松蔭先生は犯罪者だったからです!!

松蔭先生は犯罪者!?

そうなのです。

松蔭先生は29歳に生涯で5回も牢屋に入れられています。

牢獄に入れられる松蔭先生

もちろん今の犯罪とは全然違います。

幕末の時代は今でいう県である藩の許可なしに他の藩に行く事が出来ず、勝手に出ると犯罪になります。

お友達と一緒に東北旅行に行って世の中の色んな人と交流してお勉強しに行く時に藩からなかなか手形が届かず、、、、

お友達との約束を優先して死罪覚悟で脱藩しちゃいました( ̄∇ ̄)

黒船来航の時も当初は尊王攘夷派(外国人を追い払えという考え方)だったのですが、黒船を見て外国のいいところを盗んでもっと強い日本を作ろうじゃないかと、勝手にアメリカ留学をペリーに直談判しに行くという無謀な行動をとって

密航の企てで牢屋に入れられます。

牢屋で読んだ有名な一句

「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
(こうすれば、こうなることはわかっていたけれそ、、、それでも私を行動に踏み切らせたのは、ただただ日本を想う心なのだ!!)

本能に従う感じが大好きです★

リスペクトします!!

しかし、仮釈放中でも日本を思うまっすぐな気持ちがあまりに、幕府の政治に不満を持ち、このままでは日本がダメになると、幕府の政治の重鎮の暗殺を企て、またもや牢獄行き、、、、。

危険人物とみなされ江戸へ送られ、そこでも自分の意見を幕府に伝えるチャンスと捉え、全て話して死罪になってしまいます。

命を捨ててでもなんとかしたい一心です。

「私が死んでも私の意思を継いでいる者達がきっと成し遂げてくれる!!」

といい、死罪を抵抗する事なく受け入れます。

死刑執行人の武士が

「このような立派な最後は見た事がない」

と言い残したようです。

そして、松蔭先生の意思を継いだ者達が色んな事を成し遂げて明治の時代に大きく日本が変わりました!!!

最後に、、、

萩の松蔭神社に松蔭先生の家と松下村塾があるのですが、実は東京にも松蔭神社がもう一つあります。

世田谷線松蔭神社駅 松蔭神社

江戸の長州藩別邸の跡地に建ったのがこの松蔭神社。江戸で処刑された為に、敷地内には松蔭先生のお墓があり、遺骨が埋まっています。

萩の山の上にあるお墓には遺髪が埋まってます。

東京の松蔭神社は毎年初詣と共に松蔭先生のお墓参りも私はやってます★

私の好きな松蔭語録

志定まれば 気盛んなり

(志があれば、人はやる気が出て、その志を実現させられる)

志を立ててもって、万事の源となす

(全ての実践は志を立てる事から始まる)

夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし

以上吉田松陰についてでした!!!

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投稿者: 大田綾香

銀座のシェアサロンでフリーランス美容師として、アクセサリーデザイナーとしても活動しています

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